せんせいって おもしろい
“先生になれ”との親父の命令にそむき、商社のサラリーマンになりました。他の男兄弟二人が親父の希望通りに先生になり、私も当然先生になってくれると親父は思っていたと思います。親父は大正生まれ、大手運送会社に勤め、不況時に部下の首切りをした苦い経験から、自分の子供たちは首切りのない公務員になって欲しいと願っていた様です。幼稚園から大学まで教育大付属と名の付く学校に行ってくれたので間違いなく、自分の希望通りになってくれると信じていた様です。
大学3年生の時に大学サッカー選手権で優勝、日本一になり、自分なりに区切りをつけ、あのころ流行った“ 青年は荒野をめざす”にあこがれて、世界を見たい一心で横浜からナホトカ行きの船に乗りました。横断鉄道に乗ってモスクワへ、一年間の生活費を親父から貰い、遊学の旅に出ました。20か国を回り、そこで得たものがその後の人生に大きく影響与え、先生への道から商社の道に進むきっかけになりました。
資源のない日本は輸出によって外貨を稼ぎ、輸出で頑張る事が日本を豊かにする。海外で仕事がしたいとの気持ちが一直線のレールから分岐した様です。商社では販売部門、その後製造を始めた時も販売が主な活躍の場でした。良い製品を作り販売すると、顧客は喜んでくれるし、従業員は幸せになり、会社は儲かる、充実した生活でした。
前述の様に教育大を卒業しており、沢山の友人が教鞭をとっています。育てた生徒が「先生今度結婚します」「先生子供が出来ました」「先生同窓会に来て下さい」と言って来る話を良く聞かされました。製造して販売する、売った物は顧客に渡ると、それっきりの世界で生きて来た自分にとっては、教育は“ 生き物を育て”、その人の一生に関わって行く、素晴らしい仕事だとずーっと思っていました。
話しは2018年10月頃になります。2018–2019スクールイヤーで補習校を退職される先生が沢山おられるとの話があり、補習校の存続危機だという人もいました。運営母体であるJCCCが先生の大募集を始めます。私もJCCCの一員として、いろんな人に声を掛けました。そんなある日、銀行のセミナーで我が娘がお世話になった補習校の先生とお会いし、補習校の先生が沢山退職される、先生を探している、私は了解しています、JCCCも必死で探しています、等々の会話、その後「尾関さん、補習校の先生やってよ?」、腰が抜ける思いでした。「どうするねん?」と自問すること二か月余り、子供を育ててみたい、後輩に何かを伝えたい気持ちになり、受諾しました。
土曜日一日の授業、準備に一日二日あれば十分だと安易に考えていましたが、なんのなんの、準備に4〜5日、土曜日に教えて、日曜日だけが安息日の一年が続きました。前校長の「補習校に明日はない」の名言があります。あるのは今日だけなのです。一週間の準備を一日にぶつけるのです。凝縮しているというか、忙しというか、必死です。下校する生徒を見送り、誰もいない教室に戻るとドーット疲れが出ます。まさに「補習校に明日はない」の一日が終わります。そんな授業に追われる中で、後輩に伝えたい、前校長のもう一つの名言「二刀流」にも通じる国際人になって欲しいとの願いです。
前シカゴ総領事だった藪中三十二立命館大学特別招聘教授がグローバルな国際人の資質として「口数が多い」「しつこい(理屈っぽい)」「目立つ」と言われています。それを「遠慮なく話す」「論理的に説明できる」「突出した成果を出す」と表現されています。個性を大切にすると共にこんな人材が双葉会から巣立ってくれたらと願っています。4月からすみれ幼稚園の園長先生としてもっと若い子供たちと触れ合うことになりました。双葉の子供たちは恵まれた家庭環境育ち、素直で素晴らしい器です。“澄んだシカゴの空のもと日本の未来を夢見つつあふれる希望を胸にだき世界に向かって巣立ちゆく”(校歌)のお手伝いが出来ればと思っています。