アキレス腱断裂からの挑戦と学び

Katsuyoshi (Kai) Itoさん Okamura Corporation

2023年2月、私の生活は突然大きく変わりました。友人と趣味のバドミントンを楽しんでいる最中、足の後ろで「バチン」という音が聞こえたのです。最初は、誰かがバスケットボールを投げつけてきたのだと思いましたが、振り返ってもそこには誰もいませんでした。不思議なことに痛みはなく、状況が把握できず混乱していましたが、足に力が入らず起き上がることができなかったため、そのまますぐにER( 救急外来)へ直行することになりました。

ERに行く前に、すでに友人からアキレス腱断裂の可能性を指摘されていましたが、ERで悪夢が現実となりました。ERでは応急処置のみが行われ、後日病院を転々とすることになり、最初に診てもらった医師には保存療法を勧められましたが、一刻も早く治したいという気持ちですが、まともに動けない状況で全てを一人で行うのはほぼ不可能でした。アメリカで1人で生活する厳しさを目の当たりにした瞬間です。

 

手術自体は全身麻酔で行われ、入院することなく外来で終了し、その日のうちに家に戻りました。しかし、ここからがリハビリとの本当の戦いの始まりでした。リハビリの過程で最も難しかったのは、精神的なアップダウンでした。歩くことをはじめとして、日常の些細な動作さえも困難となり、今まで当たり前だと思っていたことが急にできなくなる現実に直面しました。その中で、身体を大切にしてこなかった自分の愚かさを痛感すると同時に、手を差し伸べてくれる周囲のサポートのありがたさを心から実感しました。

一刻も早くバドミントンに復帰したかったのですが、リハビリはあくまでも復帰をスムーズにするためのものであり、「時間」が最大の薬であることに気づいたのは、今だから言えることです。動きが制限されている中、週に3回のリハビリは決して簡単なものではなく、何をするにも移動が大変でした。

そんな中行った早慶合同懇親会。私が企画していたイベントだったため、「這いつくばってでも参加しなければ」という強い思いで、車椅子を自分で手配し、皆さんにお越しいただきました。無事に会を終えることができ、ほっと一安心しましたが、家に帰った時には本当に這いつくばって移動する羽目になるとは思いませんでした. . (. 苦笑)

 

 

「絶対復活する」と心に誓っていたので、自分で言うのもなんですが、「リハビリ優等生」としてかなりの時間と労力を注ぎました。フィジカルセラピーは複数の施設を掛け持ちし、さらにカイロプラクティックも取り入れました。時にはサービス提供者と口論になることもありましたが、それもリハビリの一環だったと思います。主治医からは「だいたい97–98%くらいの回復になる」と言われていましたが、残念ながら、現在でも昔と全く同じ感覚には戻っていません。ただし、手術の影響でアキレス腱自体が太くなっているため、「以前よりも強くなっているんだ」と勝手に思い込むようにしています。「せっかく切ったのだから、何か得てやりたい」という貪欲な性格から、「OkamuraのKai=アキレス腱」というイメージを持ってもらおうと思い、新年会のスピーチでもこの話を披露しました。笑い話として聞いてもらえましたが、当時を振り返ると、身体的にも精神的にも本当に多くの苦労が詰まった時間だったと感じます。

怪我から2年以上が経過した今では、バドミントンだけでなく、新たにバレーボールにも挑戦し、以前よりもさらに活発に生活を楽しんでいます。「動けるうちに動く」「やれる時にやる」という教訓を学べたのは大きな収穫でした。アキレス腱断裂という怪我は、私にとって大きな試練でしたが、人と人とのつながりがどれほど大切で力強いものかを改めて実感する良い機会でもありました。これからは、私も同じように周囲の人々を支える存在でありたいと思います。この場を借りて、支えてくださった全ての皆さまに心から感謝をお伝えしたいです。本当にありがとうございました。