牡蠣と私

鎌田 大作さん Sompo International

2020年初春、アメリカ駐在辞令を受ける、場所はシカゴ。真っ先に考えたのは「海のないシカゴでいかに牡蠣を食べるか」であった。ミシガン湖にクレール※用の養殖場があるのではないか、シカゴは物流の中心地だから大規模な魚介市場あるはずだ . . . などなど。しかし実際に赴任日が近づいてくるとそれどころではなく
なっていった。外食はおろか、食材調達のための外出さえ思うようにいかないコロナ禍である。その後なんとか着任はできたが、不要不急の外出は控えほぼ外食なしの生活を2年近く過ごした。どこからコロナに感染するかも分からなかった頃は生食さえも控えたため、ほぼほぼ牡蠣なしの生活を過ごした。

Oyster Bar Menu   

筆者がなぜ牡蠣にこだわるのか、それは10年程前にさかのぼる。当時会社から海外赴任の内示を受けた。フランス駐在、えっ!?確かに「欧米希望」と申告した記憶はあるがニューヨークに留学もさせてもらったし、欧米と言えば米国だと信じ切っていた。ふ、フランス . . . 、フランス語はいくつかの単語しか知らなかったし旅行でパスポートを盗まれた苦い記憶でいっぱいの先だった。辞令から3カ月後パリの地に立っていた。不思議なもので時間がたつと徐々に居心地もよくなる。在仏の日本人先輩方とご一緒する機会も増えていき、才能に溢れる方々に驚かせられる日々。本業は別なはずなのになぜかフランス料理にめっぽう詳しい、ある方はワインを語らせたら朝まで話す、またある方はフランス哲学、歴史 . . . 。どの方もご自身のキラーコンテンツをお持ちの方々ばかり。そういった方々に囲まれ「自分には何があるのだろう」と疑問を持ち始めたある日、カフェを通りかかると寒空の中ひたすら牡蠣を剥き続けるおじさんがいた。後々「l’ecailler(エカイエ)」と呼ばれる職業だと知る。景気づけに牡蠣でも食べてみるかと手にしたメニューには、産地、処理方法、年数、サイズが記載されている。一口に牡蠣と言ってもこんなに種類があるのかと驚きながら、ワイン、レモンと一緒に口にしてみると、潮の香りとレモン、そして白ワインとのマリアージュ、一瞬で虜になっ
た。決めた!俺は牡蠣を語る!まずはメニューの写真を撮り自宅でフランス語を訳してみる。最初は地名なのか、一般名詞なのか、はたまたブランド名なのかさっぱり分からなった。暗号のような文字を一つ一つ調べながら、私の牡蠣人生が始まった。その後、色々な店を食べ歩き、マルシェに通い、剥き方を覚え、産地を巡り、専用食器を集め、養殖方法、生産状況、学術的分類、歴史を学び . . . 、牡蠣に関係するあらゆるものを手にするようになった(この場では詳細は省略させて頂く)。

その中から小ネタを一つ。牡蠣自体は各地で貝塚が見つかるように縄文時代、あるいはそれ以前から食べられていた。しかし欧州の貴族が牡蠣を食べ出したきっかけはルイ14世( 太陽王)だと言われている。ベルサイユに住んでいたルイ14世は、ブルターニュ地方のカンカルという小さな港町から牡蠣を毎日運ばせていた、らしい。「牡蠣が好きだったから」というのが通説だが、筆者の大胆な推測では「海水のミネラルが欲しかったから」と考えている。パリから海辺までは歩いて丸2日、セーヌ川の船でも丸1日、海水のまま運んだら傷んでしまう。牡蠣の状態で運べば2日程度であれば新鮮に運ぶことができる。ルイ14世は牡蠣を食べていたのではなく海水を愉しんでいたはず、そう考えた背景には、フランスでは牡蠣を剥いた際に真水ですすぐことはご法度であり、そのまま海水と一緒に味わうことが常である。これを知らずに真水ですすいでしまった日本人女性がフランス人舅から家を追い出されかけた話を知っている。そのためかフランスでは太ったミルキーな牡蠣は敬遠されがちで痩せた牡蠣の人気がある。牡蠣の身は海水とそのミネラルを保つ出汁袋のようなものなのだ。これは「信じるか信じないかはあなた次第」と付け加えておきたい。

さて、ウィズコロナ生活が定着した今年、ようやく初めての本格的な牡蠣のシーズンを迎える。アメリカでは大きく分けると5つ(Atlantic、Olympia、Pacific、Kumamoto、European Native)の牡蠣が生産されているという。縦長の牡蠣、学術的にはマガキ属( Crassostrea)と呼ばれ、平らなものはイタボガキ属(Ostrea)ヒラガキと呼ばれている。日本にも素晴らしい生産地がたくさんあるが、どこの牡蠣も基本的にはクリーミーで肉厚の牡蠣のイメージが強い。アメリカで牡蠣を食べられた方は、小ぶりであっさりとした印象をお持ちになられたはずだ。「牡蠣は森が育てる」と“牡蠣礼讃”の筆者畠山重篤氏もおっしゃっているが、牡蠣はその土地の風土に根差した味になる、アメリカの人や食文化に適した形で進化する。今ではアメリカの代表的な牡蠣となったKumamoto種も戦後アメリカに輸出されたことが始まりで、元は筆者と同じ熊本産(筆者がアメリカで目標とする存在だ)。牡蠣の歴史を調べると意外なところでグローバルな交流も行われている。このお話はまた次回、難しいことはさておき、まずは牡蠣を楽しもう!

※クレールとは養殖の仕上げに数カ月汽水で育て緑素を含んだ牡蠣を生産する処理方法のこと