コロナ禍での自己再発見

山科(ピエール) 裕司さん 兼松米国会社

ドイツでのロックダウン

2年前の冬、私はドイツのデュッセルドルフに駐在していた。ご存知のように当時新型コロナはヨーロッパ中で急速に感染が拡大しており、ワクチンもまだ世に出ていないなか、当然デュッセルドルフの街はロックダウン状態であった。私の家はアルトシュタット(旧市街)にあり、「ヨーロッパ最長の酒場」と呼ばれている、有名な飲み屋街まで徒歩1分という、お酒の好きな私にとっては最高の場所にあった。ところがロックダウンにより、大好きな酒場でアルトビールとソーセージを楽しむこともできず、日々ストレスは溜まるばかりであった。

ゴーストタウンのようなデュッセルドルフの無人酒場街

ダメになっていく私

一方、家で飲む酒量は増えるばかりで、趣味のピアノを弾くにも、ワインを片手にしており、気が付けば空瓶が数本ピアノの上に転がっており、何を弾いていたのかも全く記憶がなくなっている始末。例えば最初はドビュッシーを弾いていたかと思うと、いきなり韓国ドラマテーマ曲を弾き出し、最後は意味不明なJ-POP曲を熱唱していた(らしい。妻によると)。妻は一滴もお酒を飲まないため、相手もしてくれず、憐れむような目をして私を見るようになっていた。妻から何を聞かれても、私の返答は「うん、でもやっぱり最初はビールがいいよね」などと会話も成立しなくなってきていた。週末の楽しみといえば、スーパーマーケット(だけは営業していたのだ)に行って、大量のお酒とソーセージとチーズを買うことであり、その時だけは私はとても生き生きとしていた(らしい。妻の証言によると)。

30数年ぶりに絵筆を取る

あまりにも私の廃人化が進んでいることに心配した妻が、ある日どこで調達したのかスケッチブックと水彩画のセットを私に渡し、「絵でも描いてみたらどう」と勧めてきた。どこかで絵画療法※ 1 のことを聞いたのだろうか。私が大学時代まで油絵が好きで描いていたことを妻は知っており、何とか私を真人間に戻そう、という気持ちだったのだろう。その時も虚ろな目をしてワインを飲んでいた私は、気乗りもしないままに妻の言われる通り、実に30数年ぶりに絵を描いてみたのであった。何を描くのかも分からないまま、酔っぱらって震える手は、なぜか自然にいつも入り浸っていた近所の酒場のスケッチを始めているではないか . . . 私の脳裏には、コロナ前のあの楽しい酒とバラの日々が蘇り、人々が楽しく酒場で談笑している姿を描きたい、というある種の渇望が芽生えだしていた。一作目は、まさに私の心の叫びが芸術に結び付いた瞬間であった。おそらくッホもこんな気持ちだったのだろう。描き始めると、時間も忘れて没頭するようになり、また酒量も減るようになった。(さすがに酔っぱらうと絵は描けないのであった)妻の思惑は当たり、私は少しずつ真っ当な人間に戻っていったようだった。

一作目 私の願望が現れたものと思われる

題材に事欠かないヨーロッパの街

季節はクリスマスとなり、コロナ禍であっても街中が華やいでおり、またクリスマスマーケットも(制限はあったが)開催されることになり、今や真人間になった私は絵の題材を探し、街中を探索するようになった。あらためて見返すと、ヨーロッパの街は絵心をくすぐられる光景ばかりで、本当に楽しく、次々と絵を仕上げていった。

クリスマスマーケットのカップルと犬

ずっと主人を待っている近所の犬

デュッセルドルフ旧市庁舎広場のツリー

コロナ禍の自己再発見

当時はコロナウイルス感染拡大の真っ只中で、先行きが見えない不安や感染に対する恐怖があり、また日本で父親が亡くなったことも重なり、あまり良い精神状態ではなかったと思う。一方コロナで生活スタイルが大きく変化したことにより、自分自身を振り返ったり、自分自身を見つめなおす時間ができたことも事実だ。私の場合は妻に勧められ、絵を描く楽しさを再発見できたことが本当に良かったと思う。またさらに大きな変化は、家では全くお酒を飲まなくなったことだ。お酒がないときには味み りん醂まで飲んでいた私が . . .まるで別人ではないか。妻には本当に感謝したい。(絵画療法セラピストなのか?)皆さんもぜひこの機会に、やりたくても時間が無くてできなかったことや、新しいことに挑戦されてみてはいかがだろうか。私のように、自分自身を再発見
することができるかもしれない。

シカゴでも

ドイツからシカゴに転勤して既に1年が過ぎた。コロナ禍も沈静し、経済活動も活発になっており、なかなかこれまで絵筆を持つ時間がなかったのだが、ミシガン湖の朝焼けの光景や、ダウンタウンの摩天楼の素晴らしい景色を見るたびに絵心をくすぐられる。ぜひ時間をみつけてシカゴの絵を描いてみようと思う。

妻(絵画療法セラピストなのか?)

※ 絵画療法:患者に絵をかかせ、心の状態を図り、セラピーを試みる治療方法のこと