馬の話
ペットはメダカかカエルか虫しか飼ったことがないが、馬の世話をしていたことがあるというのは私の持ちネタの一つだ。馬に乗っていたのは大学馬術部の4年間だが、その後も夫と共に旅行先で乗馬をする、乗馬クラブにビジターとして乗りに行くなど乗馬との縁は細々と続いている。特に同期を訪ねて行ったモンゴルの大草原での乗馬は素晴らしい経験であった。4年も練習すれば下手なりに少しは乗れるようになるもので、時が経っても一度集中的に学んだものはなかなか忘れないものだと感心する。
乗馬というとお金持ちのスポーツというイメージが強いが、イメージに 違わずお金のかかるスポーツだ。私の所属していた部は大学から出るわずかな補助金の他は、乗馬の購入費用、飼料代、診療代、試合場までの馬を運ぶ車代など、年間200万円ほど部員がアルバイトで稼いでいた。また、朝昼晩の世話も交代で行い、6時半から朝練をし、馬を洗って急いで乾かし、9時半の一限の授業にギリギリ間に合うという毎日であった。アルバイトは主に土日の競馬開催の際にJRAで働かせてもらうことが多く、京都競馬場や阪神競馬場でミニチュアホースを連れてのグリーティング、乗馬体験のスタッフ、厩舎関係者がレース前に不正をしないための厩舎監視、レース後の採尿検査補助、誘導馬の身支度などを担当しており、当時は日給1万円をもらえたため学生にとっては安定した収入源であった。入部後は銀行口座を作って通帳を会計に預け、部のアルバイトで稼いだお金は全て徴収されるなかなかブラックな部活であった。
昨年府大と合併し大阪公立大学になったが、私の母校、大阪市立大学には農学部が無く、大学内で馬糞を肥料として消費することもできなかったので、半年に一度「ボロ祭り(ボロとは馬糞のこと)」と称して軽トラを借り、置き場いっぱいになったボロを富田林の農家に持っていくことが一大イベントであった。その日着た服は二度とまともに使えないほどにおいがつくが、すっきり片付いた厩舎に帰って、農家からもらった白菜や大根で鍋パーティをしたのは楽しい思い出である。
部活とアルバイト三昧で勉学がおろそかになりがちな時も多々あり、多少怪我もしたが、4年間素晴らしく賢く美しく、愛嬌たっぷりな馬たちと過ごし、その生死の中で仲間たちと濃い時間を過ごしたことは今の自分を形作る大きな経験であったと思う。卒業後は馬に乗ることはめっきり少なくなったが、入省した農林水産省には馬術部出身者もしばしばおり、中央競馬と地方競馬を管轄する競馬監督課という部署もあり、また、夫と最初に出会ったときに共通の話題として盛り上がったのも馬の話題であった。
さて、アメリカで馬といえば、5 月のケンタッキーダービーが有名だが、今年のダービーを皆さん観戦されただろうか?競馬場で働いていたにも関わらず、レースにはあまり興味を持っていなかったため、2年前シカゴに赴任した際も全く意識せず、ダービー当日はミツワに買い出しに向かっていた。I-90の渋滞にはまり、ノロノロ運転をしていた時、当時の岡田総領事から急に電話がかかってきた。何かやらかしたかと焦りながら電話を取ったところ、「今日はケンタッキーダービーだよ、アメリカに来たならぜひ見てみてはどうですか。」というおすすめであった。ケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場で毎年5月に行われ
るこのレースはアメリカ競馬の数ある競争の中でも最高峰のイベントとされ、「スポーツの中で最も偉大な2分間」と形容されている。華やかな帽子でのおしゃれも有名だ。結局その年のダービーはリアルタイムでは見そびれてしまったが、翌月アーリントンパーク競馬場で阪神競馬場との交換競争、「Hanshin Cup Stakes」を観戦する機会に恵まれた。アーリントンパーク競馬場はシカゴベアーズに新スタジアム建設のため売却され、一昨年の秋に閉じられてしまったが、最後の阪神カップを現地で観戦できたことはシカゴでの良い思い出の一つになった。
今年のケンタッキーダービーは友人たちと集まってミントジュレップを飲みながらテレビ観戦をし、楽しい一時を過ごすことができた。今年日本の馬は2頭出走予定であったが、そのうちの1頭、コンティノアールが渡米後、歩様の乱れが出て出走を取り消し、結局デルマソトガケと地方所属馬として初めて、補欠から繰り上がったマンダリンヒーローが出走した。出走18頭中6着と12着であったが、素晴らしいチャレンジだったと思う。ケンタッキーダービーは招待レースではないため遠征費用が高額になる。また、当然海外遠征は馬の体調へのリスクもある。日本からは1995年以降5回しか参加していない。一度に2頭出走したのは今年が初めてのことであった。デルマソトガケは秋にも米国遠征を検討しているようだ。ぜひ皆さんのスポーツ観戦に競馬も加えていただき、アメリカで活躍する日本の馬の応援をしていただければ嬉しい。