鬼爺の目にも涙

徳吉 史子さん 増田・舟井・アイファート&ミッチェル法律事務所

「鬼爺が帰 ってくるぞー! 」
小学校低学年だった頃の私は、毎日午後5時10分になると、兄とそう叫びながら玄関に向かって猛ダッシュした。脱ぎっぱなしの靴を揃える為である。「鬼爺」とは、何を隠そう、一緒に住んでいた祖父のことだ。下駄職人だった祖父は、行儀には人一倍厳しく、仕事場から帰ってきて玄関先がちょっとでも乱れていようものなら、みっちり叱られた。その頃の祖父は、堂々たる恰幅に、頭は角刈りに近いスポーツ刈りで、風貌でいえば俳優の藤岡琢也。威圧的な外見に加え、ゆで卵が1分でできてしまうような熱い一番風呂に入り、体を洗うのはもっぱらヘチマたわし。しかも、「戦争に行ったことがある」というので話を聞けば、手や足に何発もの銃弾が貫通したというではないか。私達孫にとっては、恐るべき「鉄の男・不死身の男」だったのである。

もっとも、たまたま遊びに来ていた従妹(当時6歳)が、お風呂上がりにふんどし一丁で家の廊下を悠々と歩く祖父を目撃し、駆け寄って「おじいちゃんは、忍者なの?」と輝くような目で尋ねた際には、咄嗟に手裏剣を投げる仕草を披露するお茶目さを持ち合わせていたことは認めよう。しかし、祖父の厳格さは、それで容易に相殺されるようなものではなかった。

そんな祖父が、「第二次世界大戦中に中国に配置され、第一線の兵士として従事していた」と知ったのは、私が社会人になってからのことだった。それまで祖父から聞く戦争体験といえば、銃弾が手足を貫通したことだけで、話がそれ以上に及ぶことは一度もなかった。実家に帰省中、たまたま居間で祖父と二人きりになった私は、「祖父の戦争体験は本当にそれだけだったのか」とふと不思議に思い、さりげなく尋ねてみることにした。

その日はそれまでとは全く違った。私が十分に大人になったと思ったのか、あるいはたまたま話したい気分だったのかは不明だが、祖父は別人のように話し始めた。郵便局員として働いていたときに徴兵されて中国に配置されたこと。中国の日本軍は南下してくるソ連軍に対抗するために北に向かう部隊と北京から西に向かって戦線を拡大する部隊の二手に分けられたこと。前者の部隊はソ連軍を相手に全滅。自分はたまたま後者の部隊に配置されたものの、前者の部隊に指名されていれば自分は今存在しなかったであろうこと。何週間も入浴できず、氷点下の中でドラム缶に湯を沸かし、日本各地から徴集された兵士達と交代で入浴したこと。そして、仲間の兵士の中に「北海道の大将」(祖父は、話の中で知り合いについて言及する際、その人が住んでいる場所に大将を付けて、「どこどこの大将」とよく呼んでいた)がいたこと。

 

北海道の大将とは、第一線で共に戦ったのだという。ある日徒歩で長距離を移動中、腰まで草が生い茂る野原に差し掛かった。そのまま野原を横断しようと足を踏み入れたところ、四方八方から銃弾が飛んできたのだそうだ。中国軍の姿は見えない。でも、銃弾は確実にこちらに向かって飛んでくる。近くに居ることは間違いない。祖父と北海道の大将は、反射的に草むらに身を屈め、腹ばいになれば身を隠せる程の大きさの石まで移動した。どれだけの時間が経っただろうか。銃声は止み、辺りは静寂さを取り戻した。隣にいた北海道の大将が、「(中国軍は)去った。様子を見てみる」と口にするやいなや、その場ですくと立ち上がった。その瞬間、北海道の大将の頭部に銃弾が命中。「即死」だったそうだ。

そこまで話すと、祖父は私から静かに顔をそらし、横にあったテレビに向いた。祖父の口から次の言葉は出てこない。祖父の右横顔を見つめながら話はこれで終わりかと思えたそのとき、私がいた角度からかろうじて見える祖父の左頬に何かがつーっと流れた。「涙」だ。祖母が亡くなったときでさえ、人前で涙を見せなかった祖父。私は祖父が避けようとしていたことを無理やり話させてしまったのではないかと罪悪感を感じながら、それを見て見ぬふりをした。テレビに映るバラエティ番組が祖父と私の間の沈黙を埋めてくれるはずもなく、その場をそっと立ち去るのが祖父への敬意のように感じた私は、腰を上げた。その瞬間、横に向いたままの祖父がため息まじりに呟いた—

「戦争は勝っても負けても人が死ぬばっかりで . . . 」と。

ロシアによるウクライナ侵攻により、「戦争」という言葉を毎日聞くようになった。私の中の戦争とは、「鉄の男・不死身の男」でさえ60年を経て振り返っても涙が出るような事象であり、21世紀の今この瞬間にそれに直面している人達がいるのかと思うといたたまれない気持ちになる。晩年の祖父は、藤岡琢也はどこへやら、すっかり人が丸くなり、完全に「友蔵(ちびまる子のおじいちゃん)」と化していたが、戦争と聞いて強烈に思い出すのは、あの日見た鬼爺の涙なのである。

ところで、今の私はといえば、子供達が外から帰ってくると、「靴を揃えなさーい!」と玄関に向かって叫んでいる。どうやら鬼爺からの教えは、海を越えて住む場所が変わっても廃ることはないようだ。